北宋に革新政治を断行した王安石を首領とし、彼の政策を支持する党派を新法党という。
北宋の中期になると、内政が弛緩し、さらに遼・西夏等の外敵の脅威にさらされた。
そこで王安石が神宗の知遇にこたえて、一連の革新と強兵の策を断行した。
これを新法とよび、王安石及び彼の政策を継承する蔡確、呂恵卿、章惇、蔡京らの人々を新法党という。それに対して新法党の政策に反対した守旧派を旧法党という。保守的な老臣大儒を中心とする既成階級的な現状維持派で、その代表的な人物は司馬光、文彦博、蘇軾等であった。蔡京が見せしめのために作ったブラックリストには旧法党の人名が三〇九名も刻されており、その中には蘇軾と交流があった者も含まれている。